~ラジオパーソナリティになろうと思ったきっかけ
ビジネス法務コーディネーター®の大森靖之です。
日頃は、ビジネス契約書専門(特にIT系に強い)の行政書士として、中小・ベンチャー企業様の成長発展のお手伝いをさせていただく傍ら、埼玉県川口市にあるコミュニティFM局、FM Kawaguchiにて『ちょいワルMonday』という番組(毎月第2、第4月曜日19:00~生放送)の構成作家兼パーソナリティとしての活動もさせていただいております。
ブログ上でこの「連載」をしようと思ったきっかけについては、こちらをご参照ください。
さて、前回からの続き。
その前に。
タイトルを「ラジオ番組のつくり方」とはしているものの、こういう仰々しいタイトルにしているのは、SEO対策的なところもありw(本当にSEO対策になっているかは不明。ITに詳しい方のアドバイスプリーズ)
自分たちの番組を凄い番組だとはまったく思ってない。FM川口には『ちょいワルMonday』よりも人気番組がたくさんある。一言で言って、まだまだ発展途上の番組。
ただ、共演者それぞれに本業を持ち多忙を極め、しかもコロナ禍。これまでの放送で誰も1度も欠席がないというのは誇っていいと思う。
ド素人がコミュニティFM曲で番組をはじめて、どうにかこうにかここまで続けてこられた紆余曲折や試行錯誤をテキストでまとめておくことは、放送・通信問わず「これから音声配信をはじめたい」という方々にとって、もしかしたら参考になるんじゃないか?という考えから、お恥ずかしい部分も含め、おもしろおかしくまとめていきたいと思っている。
勝手ながら、しばしお付き合いいただきたい。
というか、興味の無い方は、そもそもこの記事などすっ飛ばしているだろうから、思うようがままに書く。これがブログの良いところ。
こちらが、『ちょいワルMonday』の親愛なる共演者。
左:しーたけ村長(有限会社昇栄興業・代表取締役)
中央:まりちゃん先生(FM川口DJ)
右:やっちゃん(私)
月2回だけだが、この3人で集まってワチャワチャと打ち合わせする時間が「今は」凄く楽しい(他の共演者はどう思っているのだろう…)。
ちなみに…今回『ちょいワルMonday』への出演がきっかけで、自分たちでFM川口にラジオ番組を持っちゃおう!と思っちゃった若ちゃん、かずみんの出演回(2022年4月25日放送)の打合せはこんな感じ。いつもお酒の話w
ちなみにちなみに…『ちょいワルMonday』パーソナリティ3人のお酒事情。
・しーたけ村長:一見お酒強そうだが、普通
・まりちゃん先生:マジで強い。一回、無謀にも日本酒で勝負を挑んだが惨敗
・やっちゃん:お酒の席は好きだが、お酒自体には弱い(コロナでますます弱くなった)
こんな感じ。
話が逸れすぎた(読者の皆さん、スミマセン)。
期待に胸を膨らませて臨んだ、番組をスタートさせるにあたってのキックオフミーティングでの反省点は、前回の記事の通り。
この反省点を踏まえ、どうやって初回放送(2020年6月29日)に漕ぎ着いた(漕ぎ着かせた?)かの話に入る前に。
なぜ、しーたけ村長とやっちゃんとでラジオ番組をはじめることになったのかまで、話を遡る。
元々、しーたけ村長と私は、埼玉中小企業家同友会という経営者の勉強会を主催などしている組織で、2016年に知り合い、お互いタイプが全然違うけれども、コアな部分で共感できるところが多いからか?妙に話が合い、勉強会が終わった後に飲みに行ったり、地方で勉強会が開催される際には、一緒に旅行気分で行ったりしていた仲。
意外に付き合いは長い。
『ちょいワルMonday』のちょいワルゲスト(自分の意見を自分の言葉で発信しちゃう大人たち)は、この埼玉中小企業家同友会で出会った仲間(というか「友」)が結構多いかな。基本的には経営のお勉強。その中での関わり合いから、しーたけ村長やちょいワルゲストのようなバラエティに富んだ方々との「友」になれるチャンスもあり。
とっても雰囲気が良い組織だし、40代になって「ビジネス仲間」ではなく「友」と呼べる人と出会える環境ってホント素敵だと思う(あくまで個人の感想)。
ご興味のある方は、リンクを(これでもか!)と入れておいたので、埼玉中小企業家同友会のホームページをぜひ覗いてみて欲しい(一緒に経営を学ぶ仲間を絶賛募集中!!)。
見ての通り、しーたけ村長とやっちゃんは、生き様が全然違うので、こういう組織でのセレンディピティ的な出会いがない限り、一生交わることはなかっただろう。
またまた話が逸れすぎた(読者の皆さまスミマセン)。ここから、「しーたけ村長とやっちゃんとでラジオ番組をはじめることになったのか」の本題に入る。
あれは、2019年8月。
しーたけ村長は『ちょいワルMonday』でのキャラ通り人気者。慕っている仲間は数知れず。交友範囲が広い。
その時は、兵庫県の姫路市からたずねて来る仲間(この方も同友会の方)がいて、前日、唐突に「一緒に飲まないか」と誘われる。
しーたけ村長からの誘いに乗って後悔したことはないので、どんなに唐突だったとしても、どうしてもダメな場合を除いて極力断らないようにしていた(今もそうしている)。
本来その姫路の方は、しーたけ村長と話すべきだが、なぜか私の前の席に座ったのが縁で、私とたくさん話すことになる。
実は、私、2002年4月に社会人となってはじめての赴任地が「姫路」。姫路城や当時の記憶の話をしているうちに、酔いも手伝って深い話に。
その「深い話」の中で、姫路の方は力説をはじめる。
主旨はこんな感じ。
「オレは、姫路のコミュニティFM局でラジオ番組を持っているんだけど、ラジオパーソナリティのポジションは凄くいいぞ!まず、これまでの人生で出会えなかったようなバックグラウンドの人たちと出会える。自分の番組に知り合いをゲストとして呼べば、親交が深まる。何より、話のネタになる。これがあまりにも良くて、姫路だけじゃなくて、支店のある北九州(確か)でも番組持つことにした。君(やっちゃん)は、話し方といい、声といい、何となくラジオ向きっぽい気がする。機会があったら、ラジオ番組を持つといい!」
その時は「まあ、遠い世界の関係ない話だな」と、飲みの席の楽しい話としてほぼスルー。
とはいえ、人生は一度きり。機会があったら、ヘッドホンをして、マイクの前に座り、リスナーの皆さんの一人一人の顔を思い浮かべながら語る…
おたよりには、昔良く聴いていた番組のパーソナリティのように一つ一つ真摯に向き合う。
話は変わるが、スピッツの『ラジオデイズ』という曲。
この曲は、私が思うところの「ラジオとは?」がすべて言語化されている曲。
ホントにいい曲なので、ラジオ好きの読者の方はぜひ聴いていただきたい。YouTubeにある(オフィシャルではないのでここでは共有しない)。
その曲にこんな一節がある。
こんな雑草も花を咲かす 教えてくれたんだラジオ
スピッツ『ラジオデイズ』
したたかに胸熱く 空気揺らしてくれるラジオ
どんな夢も近づけるように 道照らしてくれたよラジオ
危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ
ラジオを聴いている時は、トゲトゲしい心の闇もなぜかスッと消えていた思春期の頃の深夜ラジオの記憶。
私の青春時代は、SNSは当然ない。「見ず知らずのアカの他人」に向けた情報発信は、ラジオでパーソナリティを通しての方法しかほぼない。「ラジオパーソナリティ」とは言い得て妙で、パーソナリティを通すと、私のような雑草のくだらない話も、たくさんのアカの他人に真剣に聴いてもらえている気がする…
これは一種の快感で、中学生~高校生~大学生2年生頃まで、今は死語の「ハガキ職人」をやっていたこともある。
それはさておき、姫路の方に対し、「そんな素敵ことをやっているのか!?」と、羨ましかったのも事実。
時は流れて。
2020年3月初旬。
中国の武漢で発生した得体の知れない病気は、どうやら対岸の火事では済まなそう。
横浜港に停泊中のクルーズ船では大変なことになってる(のちに、密閉空間での集団感染は「クラスター」と呼ばれることになる)。
とはいえ、経験したことのないことなので、政治も行政もマスコミも我々もどうしたらいいのか全くわからない。
そんな暗い、暗~い世相。
何の用事か忘れてしまったけれど(おそらく仕事のこと)で、しーたけ村長と話す機会があり。
その時、そんな世相もあってか「人生で一度やってみたいこと」みたいな話になり。
おそらく、上述の姫路の方との会話が脳裏に刻まれていたのだろう。間髪入れずに、
や)「実は、人生で一度、ラジオパーソナリティやってみたいんだよなー」
と言ってみたところ、
し)「え!?そうなの??そういえば、昨日ラジオ局の局長みたいな人(FM川口・小田島部長)と飲んだんだけどwちょっと電話してみるわ」
とその場で電話。
物事を進める時の強引さとスピード感は、しーたけ村長の真骨頂(自分はできない。冗談抜きにリスペクトしている)。
その3日後くらに局長との一席が設けられ、局長から「2人で1回チャレンジしてみればー」とのお言葉。遠い世界の話が、こんなにポンポンと話が進んじゃって…しーたけ村長やっぱりスゲー!
ただ、その後、得体の知れない病は「新型コロナウイルス感染症」と呼ばれ人々に認知されることとなり、かの志村けんさんが、この感染症により亡くなったりされて、世の中は超自粛ムード。
その頃は、コロナビールを飲みながら「オンライン飲み」を毎日のようにしていたっけ。
あまり思い出したくもないが、記憶に刻まれている今でも鮮明に思い出せる閉塞感。
「この話が立ち消えになっちゃうのは致し方ないな」
と諦め、コロナのせいにして自分自身を納得させていたところ、局長から連絡をいただき、2020年4月13日(月)に番組をスタートさせるにあたってのキックオフミーティングの席が設けられることとなった、こういう次第。
さて、次回以降は、まりちゃん先生の「塩対応」からの反省点をどう克服して、番組スタートまで至ったのかについて、まとめていく。
【次回につづく】
最後まで、お読みくださりありがとうございました。
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