ビジネス契約書専門の行政書士(特にIT&クリエイター系の契約書に強い)
ビジネス法務コーディネーター®の大森靖之です。
はじめに:納品しても、契約書がなければ支払われない?
本シリーズ「契約書のトリセツ」では、契約書にまつわる基本的な知識や実務上の注意点を、初心者の方にもやさしく、わかりやすく解説しています。毎回ひとつのテーマを取り上げ、現場で役立つ視点をお届けします。
「システムは完成して納品したのに、お金が払ってもらえなかった」
「Slackやメールでやりとりしていたし、請求書も送った」
「契約書?信頼関係もあるし、必要ないと思っていた」
中小ベンチャー企業やフリーランスの現場では、紙一枚交わしていなかっただけで大きな損失を被るケースが、今も後を絶ちません。
今回は、実際にあったシステム開発案件での500万円未回収事例をもとに、契約書がなぜ重要なのか、請求書やメールだけではなぜ不十分なのか、そして何を準備すればよいのかを、やさしく解説します。
【事例】納品後に「契約していない」と言われたシステム開発会社
クラウド勤怠管理システムの開発依頼
都内のIT企業A社は、地方の建設会社B社から「クラウド勤怠管理システム」の開発依頼を受けました。見積金額は500万円。要件定義や仕様のすり合わせも終え、開発からテスト、納品まで完了。B社の担当者も、Slackやメールで進捗確認をしており、A社側は「正式に受注した」との認識で作業を進めていました。
納品後、A社は請求書を送付しました。
支払い拒否と「契約は成立していない」との主張
ところが、B社からの入金はなく、連絡もつかない状況が続きました。数週間後、ようやく返答があったものの、B社の言い分はこうでした。
「試作段階の依頼だった。社内決裁も済んでおらず、正式な発注書や契約書もない。従って支払義務はない」
A社は「メールや打ち合わせを通じて発注が明確だった」と主張しましたが、B社は「検収もしていない、発注書もない以上、契約は未成立」との立場を崩しませんでした。
結果、A社は500万円の回収を断念せざるを得なくなったのです。
契約書がないとなぜNGなのか?
契約の成立は「書面」でなくてもよい、しかし…
民法では、契約は口頭やメールでも成立します(民法第522条)。「申込み」と「承諾」があればよいのです。
ただし、相手が『契約していない』と否定した場合、それを立証できるかが最大の争点になります。契約書がない場合、その証明が非常に困難になります。
この事例でもSlackやメールの履歴は残っていましたが:
- 社内決裁を通した証拠がない(社印、発注書等)
- 価格・納期・検収条件といった「合意内容」があいまい
- 試作依頼だったのか、本番開発だったのかが不明瞭
といった点から、契約の成立を裁判等で立証するのが難しいと判断されたのです。
請求書や納品書は「支払通知」であって、契約の証拠とは限らない
請求書や納品書は、通常「支払いの意思を伝える通知」にすぎず、それ単体では契約の成立を証明するものとは限りません。
ただし、これらの書類が「取引の経緯に即して発行されており、相手方が受領して異議を述べなかった」「実際に支払いがあった」といった事実とあわせて確認できれば、契約の存在や内容を裏付ける有力な証拠として扱われる場合もあります。
実務上は、請求書だけでなく、発注メールや要件定義書、納品報告、支払い記録など、複数の資料を組み合わせて“総合的に契約の存在を立証”する必要があります。
その意味でも、契約書をきちんと交わしておくことが、将来のリスクを最小化する手段となります。
契約書があればどう違っていたか?
たとえば、次のような内容が記載された契約書や注文書を交わしていれば、事態は大きく異なっていたでしょう。
契約条項 | 具体例(クラウド勤怠管理システム) |
---|---|
業務範囲 | 管理画面/打刻機能/アラート通知等 |
納期 | 2024年12月末まで |
報酬 | 総額500万円(税別) |
支払条件 | 3回分割(契約締結・中間・検収後) |
成果物の定義 | 別添の仕様書に基づく |
検収と承認 | 納品後10営業日以内に完了しない場合は承認とみなす |
知的財産権 | 成果物の著作権は協議して決定 |
こうした文面があれば、仮に相手方が「契約していない」と主張しても、証拠に基づいて主張を押し通すことが可能になります。
システム開発こそ契約書が不可欠な理由
「完成か未完成か」が技術的に曖昧
開発業務では、「完成」の定義や要件が明確でなければ、納品済みであっても「未完成」と主張される可能性があります。
たとえば…
- クライアント:「UIが未完成」「想定より重い」
- 開発側:「要件通りの機能を実装済み」
このようなすれ違いを防ぐために、契約書+要件定義書を一体で保管することが極めて重要です。
検収がなければ、報酬請求ができないことも
「納品したから支払いがある」と思いがちですが、契約上は検収(=成果物の合格確認)をもって報酬発生とするケースが多いです。
契約書には次のような条項があると安心です。
「納品後10営業日以内に検収を行わなかった場合、承認があったものとみなす」
【例】システム開発契約書(抜粋)
システム開発業務委託契約書(例)
甲(依頼者):株式会社○○
乙(受託者):合同会社△△システム第1条(業務内容)
乙は、甲の依頼に基づき、勤怠管理システムの設計・開発・導入を行う。第2条(報酬)
報酬は総額500万円(税別)とし、以下のスケジュールで支払う。
1.契約締結後:100万円
2.中間成果物の納品後:200万円
3.検収完了後:200万円第3条(検収)
甲は、最終納品後10営業日以内に検収を行い、承認または修正指示を行う。期間内に応答がない場合、納品物は承認されたものとみなす。第4条(成果物の定義)
別紙仕様書をもって、成果物の要件とする。第5条(知的財産権)
成果物の著作権は、検収完了後、甲に譲渡されるものとする。
【補足】電子契約・クラウドサインも有効です
「契約書の印刷・押印が面倒」「郵送やスキャンの手間がかかる」という方には、電子契約サービスの利用がおすすめです。
まとめ:たった一枚で500万円の未来が変わる
契約書は、形式的な儀式ではありません。
トラブル時の“立証”と“再確認”のための道具です。
- 開発完了しても、契約が成立していなければ報酬は請求できない
- 請求書はあくまで「支払い通知」に過ぎず、契約証拠になるとは限らない
- 書面化は「信頼関係があるからこそ」行うべき基本行動
取引の証拠は一つだけでは不十分なことも多く、契約書とあわせてメール・発注書・納品書・請求書など、複数の資料を総合して「誰と・何を・いくらで・いつまでに」行うかを明らかにしておくことが、リスク回避のカギです。
たった一枚の契約書が、会社の努力と貢献を守る盾になります。
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