ビジネス法務

【実務ノート】中小ベンチャー企業の契約実務が、教科書通りにいかない理由

ビジネス契約書専門の行政書士(特にIT&クリエイター系の契約書に強い)
ビジネス法務コーディネーター®の大森靖之です。

目次


1.なぜ、契約書の本を読んでもしっくりとこないのか

契約書の本を読んでいると、こう感じることはないでしょうか。

「書いてあることは正しそうだけれど、うちの会社で本当にここまでできるのか」
「このひな形をそのまま出したら、取引先に引かれないだろうか」
「法的には正しいのかもしれないけれど、実務の感覚と少しズレている」

これは、決して読んでいる側の理解不足ではありません。
むしろ、中小企業やベンチャー企業の現場感覚としては、とても自然な違和感です。

市販されている契約書の本やビジネス法務の本は、基本的にとてもよくできています。
法律的な整理も丁寧ですし、リスクの洗い出しもされています。

ただし、そこには一つ大きな前提があります。
多くの場合、その本の想定読者は「大企業の法務部員」だということです。
一方、中小企業やベンチャー企業で契約書を見る人は、法務部員ではなく、
社長、役員、営業責任者、総務担当者であることが少なくありません。

ここに、最初のズレがあります。
契約書においても、使う人の立場が違えば、見えている景色がまったく違うのです。


2.自社の取引に合わせて「翻訳」する必要がある

中小ベンチャー企業の契約実務では、教科書通りの契約書をそのまま使えばよい、
というわけではありません。
もちろん、教科書が間違っているわけではありません。
むしろ、法的リスクを整理するうえでは非常に重要です。
ただし、教科書的な契約書は、リスクをできるだけ減らす方向に作られていることが多いです。

一方で、中小ベンチャー企業のとりわけ経営者が見ているのは、リスクだけではありません。

  • 売上を作ること
  • 取引を前に進めること
  • 相手との信頼関係を壊さないこと
  • 自社で実際に守れるルールにすること
  • 営業や現場が使える文書にすること

これらも、すべて契約書実務の一部です。
つまり、中小ベンチャー企業に必要なのは、教科書的な内容をいったん受け止めたうえで、
自社の取引、自社の規模、自社の管理体制、自社の営業スタイルに合わせて翻訳することです。

契約書は、法律文書であると同時に、取引の解像度を上げるツールです。
だからこそ、立派に見える契約書ではなく、実際に使える契約書にしなければなりません。


3.立派すぎる契約書が、かえって自社を苦しめることがある

中小企業の契約書作成でよくあるのが、市販のひな形やネット上の契約書を参考にして、
かなりボリュームのある契約書を作ってしまうケースです。
もちろん、ひな形を参考にすること自体は悪くありません。
問題は、その条項を自社で本当に守れるのかを確認しないまま使ってしまうことです。

たとえば、秘密保持義務の条項です。
大企業向けの契約書では、秘密情報の管理方法が非常に細かく定められていることがあります。
電子データのセキュリティ水準、社内のアクセス権限、委託先への義務承継など、
かなり厳格に書かれていることがあります。

大企業であれば、情報システム部門や法務部などがあり、 ある程度組織的に対応できるかもしれません。
しかし、数名から数十名規模の会社で、そこまでの管理体制を本当に運用できるでしょうか。
もし契約書に書いてあるのに実行できなければ、形式上は契約違反になり得ます。
ここが怖いところです。

リスクを減らすために入れた条項が、実は自社の契約違反リスクを増やしていることがあるのです。
契約書は、盛れば盛るほど安全になるわけではありません。
自社で守れない条項は、立派な防具ではなく、重すぎる鎧になることがあります。


4.大企業の契約書は「組織対組織」、中小企業の契約は「人と人」で動いている

大企業の契約実務は、基本的に組織と組織の取引です。

  • 営業部門が商談を進める
  • 法務部門が契約書を確認する
  • 経理部門が支払を処理する
  • 現場部門が納品や検収を担当する

それぞれの部署が役割分担をしながら、契約書に沿ってシステマチックに動いていきます。
そのため、大企業向けの契約書は、どうしても細かく、網羅的で、組織的な運用を前提にした内容になりやすいです。

一方、中小企業やベンチャー企業の取引は、もっと人に近いところで動いています。

「あの社長の紹介だから」
「あの営業担当者が信頼できるから」
「先代からの付き合いだから」
「同じ経営者団体で知り合ったから」
「あの人の仕事ぶりがよかったから」

こうした人と人との関係性から取引が始まることが少なくありません。
もちろん、だから契約書がいらないという話ではありません。
むしろ、人と人との信頼関係がある取引ほど、暗黙の了解が多くなります。
そして、その暗黙の了解がズレたときに、トラブルが起きます。

大事なのは、人間関係を壊すために契約書を作るのではなく、
人間関係を長く続けるために契約書を作るという発想です。
そのためには、大企業向けのガチガチの契約書をそのまま持ち込むのではなく
、自社の取引関係に合う温度感へ調整する必要があります。

契約書は、取引のOSのようなものです。
高機能なOSが常に正解とは限りません。
自社の業務、自社の体制、自社の取引先との関係に合っていなければ、かえって動きが重くなります。

中小ベンチャー企業の契約書では、最新機能を全部入れるよりも、必要な機能を見極めて、
現場で安定して動く形に整えることが大切です。


5.「書くべきこと」と「あえて書きすぎないこと」を分ける

中小ベンチャー企業の契約書では、何でも細かく書けばよいわけではありません。

もちろん、必ず書いた方がよいことはあります。
たとえば、次のような項目です。

観点書くべきこと書きすぎない方がよいこと
業務範囲業務内容・成果物過剰な監査権限
金銭報酬・支払時期・追加作業取引規模に合わない損害賠償
終了解除・終了条件一方的に重い違約金
情報必要な秘密保持の枠組み運用できない情報管理義務

これらは、取引の骨格です。
ここが曖昧なままだと、あとから「言った」「言わない」になりやすくなります。

一方で、実務上は、書きすぎることで相手に不信感を与える項目もあります。
たとえば、まだ小さな取引なのに、極端に重い損害賠償条項や、過剰な監査権限、
現実に運用できない情報管理義務を入れてしまう場合です。

法的には、リスクに備えるという意味があります。
しかし、取引の規模や関係性に合っていなければ、相手から見ると「そこまで信用されていないのか」
と感じられることもあります。

ここは、法律論だけではなく、経営判断です。
契約書には、書くべきことがあります。
同時に、あえて書きすぎない方がよいこともあります。
この引き算の感覚が、中小ベンチャー企業の契約実務ではとても大切です。


6.ひな形を見るときは「正しいか」だけでなく「使えるか」を見る

では、中小ベンチャー企業が契約書を作るとき、どのように考えればよいのでしょうか。
ポイントは、ひな形を完成品として見ないことです。

ひな形は、答えではありません。
問いを立てるための素材です。

次のような視点で、一つひとつ確認していくことが大切です。

チェック項目確認すること
自社で守れるかその義務を現実に実行できるか
取引規模に合っているか金額や期間に比べて重すぎないか
相手との関係に合っているか不必要に警戒感を与えないか
現場が使えるか営業・経理・担当者が理解できるか
収益を守れるか追加費用・支払条件・業務範囲が明確か
終了時の道筋があるか揉めずに終われる設計になっているか

契約書をチェックするときは、「この条項は法的に正しいか」だけでは足りません。

「この条項をうちの会社は守れるか」
「この条項を営業担当者は説明できるか」
「この条項で相手との関係は前に進むか」
「この条項は、会社の利益と信用を守るものになっているか」

ここまで見る必要があります。

契約書は、裁判になったときだけ使うものではありません。
営業、請求、追加作業をお願いされたとき、取引を終える局面…様々なビジネスシーンで使います。
だからこそ、中小ベンチャー企業の契約書は、現場で使えることが大事です。

美しい契約書より、動く契約書。
それらしい契約書より、使える契約書。
ここを目指すべきです。


7.契約書は、リスクを避けるだけでなく、取引を前に進めるための道具である

中小ベンチャー企業の契約実務が教科書通りにいかない理由は、教科書が間違っているからではありません。
教科書が想定している読者と、実際に契約書を使う現場が違うからです。

大企業の法務部員にとっては、リスクを減らすことが重要です。これは当然です。
一方、中小ベンチャー企業の経営者にとっては、リスクを見ながらも、取引を前に進め、売上を作り、
人間関係を守り、自社で運用できる形にすることが重要です。

この違いを理解しないまま、教科書的な契約書をそのまま使うと、重すぎる契約書になってしまいます。

契約書は、リスクを避けるためだけの文書ではありません。

  • 取引の内容を整理する
  • 相手との期待値を合わせる
  • 営業や経理や現場が迷わないようにする
  • 会社の方針を外に向けて言語化する

こうした機能も併せ持っている「取引の解像度を上げるツール」といえます。
ひな形を参考にしつつ、最後は自社の取引に合わせて考える必要があります。

  • 守れない条項を入れない
  • 必要なことはきちんと書く
  • 書きすぎることで関係を壊さない
  • でも、曖昧にしてはいけないところは曖昧にしない

このさじ加減こそが、中小ベンチャー企業の契約実務です。

契約書は、会社の現実を映します。
そして、これからどのような取引をしていきたいのかという、会社の姿勢も映します。

だからこそ、契約書は「教科書通り」ではなく、
「自社の取引に合っているか」という視点で見直していくことが大切です。


【音声解説】

本記事の内容は、
音声配信『契約書に強くなる!ラジオ』でも解説しています。
▽ 音声はこちら(stand.fm)


🔎 参考記事

ここで触れている内容について、こちらの記事でも別角度で解説しております。
ご関心があれば、あわせてご覧ください。


【執筆者】

ビジネス法務コーディネーター®/行政書士 大森 靖之
現場で実際に使える判断基準を前提に、契約実務を整理しています。


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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