ビジネス契約書専門の行政書士(特にIT&クリエイター系の契約書に強い)
ビジネス法務コーディネーター®の大森靖之です。
はじめに
本シリーズ「契約書のトリセツ」では、契約書にまつわる基本的な知識や実務上の注意点を、初心者の方にもやさしく、わかりやすく解説しています。毎回ひとつのテーマを取り上げ、現場で役立つ視点をお届けします。
契約書を初めて見る人の中には、こんな印象を抱く方も少なくありません。
「“甲”って、偉い側でしょ?」
「乙の立場だから、あまり強く出られないんです……」
この感覚、じつは実務上の背景と無関係ではありません。
なぜなら、多くの契約書では「甲」が「お金を支払う側」や「元請け側」として設定されることが多く、結果として、力関係が“上”に見えやすい構造になっているからです。
ですが、長年契約書を扱ってきた立場から、こう断言できます。
「甲だから偉い」「乙だから従う」――そんなルールは、法律のどこにも書かれていません。
この記事では、契約書でよく使われる「甲乙表記」の意味や誤解、そして「支払う側=甲」の構造がなぜ“上に見える”のか。その背景と合わせて、実務上の注意点をやさしく解説します。
そもそも「甲・乙・丙・丁」ってなに?
まず補足として、「なぜ契約書では“甲”“乙”などが使われるのか?」という素朴な疑問に触れておきましょう。
「甲乙丙丁(こう・おつ・へい・てい)」は、古代中国の十干(じっかん)に由来する日本語の伝統的な序列記号で、文書や契約、官公庁の行政文書などで長年使われてきました。
契約書で使われる主な理由は次の通りです:
理由 | 内容 |
---|---|
中立的で上下関係を示さない | 「A社・B社」「当事者1・当事者2」より心理的な優劣が出にくい |
文章構成がすっきりする | 長い会社名を繰り返す代わりに「甲」「乙」と簡潔に呼べる |
複数当事者にも対応可能 | 丙・丁・戊…と続けて記号化でき、複数者契約でも混乱しにくい |
法務・契約実務で標準化されている | テンプレートや過去の文書と整合がとれる |
※補足:なお「甲=主たる契約者」「乙=従たる契約者」という意味合いは法的には一切ありませんが、実務上は「甲=発注者」「乙=受注者」として使用されることが多く、そのため“立場の優劣”と結びついて誤解されることがあります。
十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の順番です。
私は「庚(こう)」までの契約、つまり「7当事者間」の契約(NDAだった記憶)を見たことがありますが、読者の皆さまはいかがでしょうか?
「甲・乙」は上下関係ではない
「甲」や「乙」という表記は、あくまで契約書の当事者を区別するための記号です。
法律上、「甲が上で乙が下」といった意味は一切ありません。
たとえば、以下のような一文がよくあります。
第1条 本契約において、株式会社レッド(以下「甲」という)と、株式会社ブルー(以下「乙」という)は、以下のとおり業務委託契約を締結する。
このように「甲」も「乙」も、ただの代名詞にすぎません。
仮に「甲は乙に対して報酬を支払う」と記されていれば、その義務を負うのは「甲=株式会社レッド」です。
「甲=お金を出す側・元請け」が多いという現実
◆ 起案者が甲に設定されがち
契約書は、通常、発注側や元請け側など、契約の主導権を握る立場が作成・提示することが多いため、その企業が「甲」として設定される傾向があります。
◆ 文型が「甲→乙」になりやすい
「甲は乙に発注し、乙は納品する」「甲は乙に代金を支払う」――
このような条文構造が多く、甲が“依頼し・支払う側”、乙が“応じて納品する側”という位置づけになりやすいため、自然と“甲が偉いように見える”構図になりがちです。
「支払う側が強い」という現実と誤解
「お金を出す人が偉い」という考え方は、ビジネスの場で根強く見られます。
たしかに、支払う側は取引上の交渉力を持つことも多く、立場が強く見えるのは無理もありません。
でも、それは契約書の表記上の「甲乙」ではなく、商慣習や実態の問題です。
実際の契約内容によっては、たとえ甲であっても、リスクを多く負っていたり、不利な条件を受け入れていたりすることもあるのです。
たとえば次のようなケースです:
- 発注側(甲)なのに、成果物の検収条件や契約不適合責任があいまい
- 解約・損害賠償の条項が受注側(乙)に有利に設定されている
- 支払義務だけが重く、進捗確認や納品管理の手続きが不十分
※補足:契約書は原則として“合意の上で交わされた文書”とみなされるため、内容が不利でも「サインした以上は拘束される」のが基本です。表記ではなく中身をよく検討することが重要です。
実務で起こる「甲乙」の勘違いトラブル
❌ 勘違い①:「乙だから強く出られない…」
乙であることを理由に、「弱い立場だから仕方ない」と思い込み、納期・成果物の範囲・支払条件などに交渉せず、そのまま契約してしまうケースがあります。
ですが、たとえ乙の立場でも、対等に交渉することは正当な権利です。
※補足:中小ベンチャー企業やフリーランスなどが「乙」として契約する場合でも、内容に疑問があれば遠慮せず修正案を出すことができます。対案提示は立場の問題ではなく、契約交渉の当然の行為です(他のブログ記事もご参照ください)。
❌ 勘違い②:「甲だから条件を有利にしてくれ」
契約書作成のご依頼いただいたときに、「うちを甲にして、有利になるようにしてほしい」と言われることもあります。
ですが、契約は信頼関係の上に成り立つもの。一方的に「甲有利」に偏らせれば、相手に警戒され、むしろビジネスチャンスを逃すおそれがあります。
「甲乙」以外の表現も増えている
最近では、契約書をよりわかりやすくするために、「甲」「乙」という記号ではなく、役割をそのまま表す呼称を使うケースも増えています。
- 当社/お客様
- 発注者/受注者
- 委託者/受託者
- 利用者/提供者
- 貸主/借主
これにより、読み手にとって関係性が明確になり、誤解やすれ違いを減らす効果が期待できます。
※補足:ただし、これらの呼称を用いる場合でも、契約書中での一貫性(表記ぶれ)には注意が必要です。呼称を変えることで曖昧になるリスクもあるため、定義条項との整合性を必ず確認してください。
まとめ:甲=支払う・元請け=力関係が上に“見える”ことはある。でも中身がすべて
「甲=偉い」「乙=弱い」と感じる背景には、「支払う側」「元請け側」としての立場の強さがあります。
しかしそれは印象や商慣習にすぎず、契約上の法的効力とは無関係です。
契約書の本質は、誰が何をし、どんな責任を負うかにあります。
甲乙の表記はあくまで目印にすぎません。
むしろ、中身の精査こそが重要なのです。
さいごに:「甲乙」の“印象”に惑わされない目を持とう
「うちは甲だから大丈夫」「乙の立場では言い出しにくい」――
そうした“感覚”にとらわれるのではなく、契約書の中身を冷静に読み解くことが、リスクを防ぐ第一歩です。
「この条件、本当に公平だろうか?」
「相手の義務と、こちらの義務はバランスが取れているだろうか?」
甲乙の呼び方にかかわらず、お互いが納得できる形になっているかを確認する姿勢が、健全な契約関係を築く鍵になります。
音声解説
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