ビジネス契約書専門の行政書士(特にIT&クリエイター系の契約書に強い)
ビジネス法務コーディネーター®の大森靖之です。
1.知らない業界の契約書を、どうやって作るのか
私はこれまで、アルバイトとして働いた鉄道業界と、会社員として勤務したメーカーしか経験したことがありません。
しかし、契約書の専門家として仕事をしていると、依頼をいただくのは自分が経験したことのある業界だけではありません。
1次産業から3次産業まで、実にさまざまな業界の経営者や事業者から、契約書作成のご相談をいただきます。
IT、クリエイター、建設、清掃、警備など、実際に働いたことのない業界の契約書を作る機会も少なくありません。
では、自分が経験したことのない業界から依頼を受けたとき、その業界特有の事情をどのように学べばよいのでしょうか。
- 業界団体の資料を読む
- インターネットで商慣習を調べる
- 関係する法律や裁判例を確認する
もちろん、いずれも必要な作業です。しかし、それだけでは見えてこないものがあります。
それは、その業界で働く経営者や社員が、日々どのような不安を抱え、どこで無理をして、何を守ろうとしているのかという「現場の心理」です。
契約書には、法律だけでなく、その業界の仕事の流れや、そこで働く方々の判断、そして商売上の切実な事情まで落とし込まなければなりません。
私は、こうした自分の知らない業界を理解する方法の一つとして、小説を読むことが非常に有効だと考えています。
2.小説は、業界を内側から見るための教材になる
小説は、法律書でも業界マニュアルでもありません。
したがって、小説に書かれている内容を、そのまま契約書に書き写すわけではありません。
それでも役に立つのは、主人公である経営者や社員の視点を通じて、業界を「内側から見ること」ができるからです。
小説を読むと、次のようなことが見えてきます。
- どの場面で先にお金が出ていくのか
- 納期が遅れると誰が一番困るのか
- 取引先からどのような圧力を受けるのか
- 現場では誰が実質的な決定権を持っているのか
- 経営者が最も恐れている事態は何か
いわば、小説は「疑似現場研修」なのです。
実際の会社に入って何年も働かなくても、その業界で起こり得る問題や、そこで働く人の気持ちを追体験できます。
3.「請負契約書」を先に用意してしまう
契約書を作る際によくある失敗が、「この取引は請負だから、請負契約書のひな形を使おう」と、先に契約書の枠組みを用意してしまうことです。
しかし、私は常々「契約書は生き物である」と思っています。
目の前で現実に行われているビジネス、つまり商談、発注、仕入れ、請求、納品、検査、アフターサービスなどを文字起こしし、法的な文書として構成し直したものがビジネス契約書です。
ですから、契約書という枠組みに、その会社のビジネスを当てはめてはいけません。
一口に請負といっても、建設工事、Web制作、ハウスクリーニングでは、仕事の進め方も、利益の出し方も、トラブルになりやすい箇所も異なります。
それにもかかわらず、「民法上は請負だから」という理由だけで同じような契約書を使えば、実際の取引に合わない条文が並ぶことになります。
Web制作会社が官公庁と契約を結ぼうとしたところ、役所から出てきた契約書が、どう見ても土木工事の請負契約書の使い回しだった、ということもありました。
契約類型が同じでも、ビジネスまで同じとは限らないのです。
4.契約書に書くべきなのは、業界特有の「圧力」である
契約書に必要なのは、業界用語を並べることではありません。
その業界では、どのような圧力がかかったときにトラブルが起こるのか。
それを見抜くことが重要です。例えば、
- 納期が迫っている
- 材料費を先に持ち出している
- 発注者から追加作業を頼まれた
- 元請会社の担当者から現場で直接指示を受けた
平常時には問題なく進んでいた取引でも、納期、資金、品質、顧客対応などの圧力がかかると、当事者の行動は変わります。
「今回だけ対応してください」
「先に作ってもらえれば、代金は後で払います」
「この程度は基本料金に含まれていますよね」
こうした言葉が出てくる場面に、その業界のリスクが潜んでいます。
小説には、登場人物が追い込まれ、判断を迫られる場面が描かれます。
そのため、制度や仕組みだけを調べるよりも、トラブルが生まれる前の「空気」を感じ取りやすいのです。
5.同じ請負でも、登場人物の不安は違う
同じ「仕事の完成を目的とした取引」であっても、業界によって主要な論点は変わります。
| 業界・取引 | 現場で生じやすい不安 | 契約書で確認したいこと |
|---|---|---|
| 建設業 | 完成後に不具合が見つかる | 検査基準、契約不適合責任、損害賠償 |
| Web制作 | 納品後に権利関係で揉める | 著作権の帰属、利用範囲、追加修正 |
| 清掃業 | 「綺麗」の基準が一致しない | 対象場所、作業内容、完了基準 |
| 警備業 | 発注者が警備員へ直接指示する | 指揮命令系統、偽装請負の防止 |
| 試作品開発 | 材料費を先に持ち出す | 前金、着手条件、中止時の精算 |
例えば、清掃業では「どこからどこまでを、どのような状態にするのか」という業務範囲の定義が重要です。
人によって「綺麗」の基準が違うため、「A会議室とB会議室のみ対象」といった形で見える化する必要があります。
製造業の試作品開発では、材料費が先にかかることがあります。
その場合、「前金が支払われない限り業務に着手しない」という条件が、会社を守る重要なルールになります。
基本となる民法の原則は同じでも、業界によって法的なリスクになりやすいポイントの「温度感」は全く違うのです。
6.小説を読んだら、5つの質問に変換する
もちろん、小説は創作物です。そこに描かれた出来事を、業界全体の事実や商慣習だと決めつけてはいけません。
大切なのは、小説を読んで得た気づきを、お客様への「質問」に変換することです。
次の5つを考えてみてください。
- この取引では、誰が先にお金や労力を持ち出すのか
- 納期が遅れたとき、一番困るのは誰か
- やり直しに最も費用がかかる工程はどこか
- 現場では、誰が誰に指示を出しているのか
- 経営者や担当者が、絶対に避けたい事態は何か
小説を読んで「この業界では、前金が重要なのではないか」と感じたら、実際の経営者に確認します。
「材料費は御社が先に負担していますか」
「発注後にキャンセルされた場合、どの程度の損失が出ますか」
「入金前に製造へ着手することはありますか」
こうして仮説を生の声で確かめ、実際の商売の流れを言語化し、法的な言葉に転換していく。
その先に、実務で機能する契約書があります。
7.まとめ|よい契約書は、登場人物の気持ちまで読んでいる
オリジナルの契約書を作るためには、その業界の法律や商慣習を知るだけでは足りません。
その業界で働く人が、どこで困り、何に追い込まれ、どのような判断をしてしまうのか。
そこまで想像する必要があります。
小説は、契約書の答えを教えてくれる本ではありません。
しかし、現場を理解するための問いを与えてくれます。
経営者の講演会などで生の話を聞く「耳学問」と、経済小説による「疑似現場研修」。
この二つを組み合わせることで、業界特有の事情や心理への理解は深まります。
契約書という枠組みにビジネスを当てはめるのではありません。
真っさらにそのビジネスを理解し、商売の流れをそのまま法的な言葉に転換していく。
よい契約書とは、条文だけでなく、そこで働く登場人物の気持ちまで読んで作られた契約書なのです。

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🔎 参考記事
ここで触れている内容について、こちらの記事でも別角度で解説しております。
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【執筆者】
ビジネス法務コーディネーター®/行政書士 大森 靖之
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